1ミリの変化

私の日曜日の朝は遅い。

 

目覚ましは鳴らさずに目覚めた時に起きる。

昨日の寝つきが悪かったせいで、メイクオフもせず、枕元のスタンドも煌々と明るいまま。

ふと見ると枕元に、昨夜寝がけに拭き取ったマスカラの一部がティッシュにこびりついているのに気づき、心底、この姿を自分以外の人間には絶対見られたくない、と思った。

 

そこからしばらくの間、布団の中でもぞもぞゴロゴロしながら携帯をいじり、

良くないとわかりながらもしばらくブログや写真を見て時間を潰すのが日曜朝の習わしだ。

一瞬、このまま一生世界が日曜日ならいいのに、とくだらない妄想をしたけれど、こんなことではダメだ、と勢いをつけ、布団を蹴るようにして起き上がって外に出た。

新緑の季節。少し遠くに八重桜が咲き始めたのが見えた。

 

しかしながら私は数ヶ月前まで、引きこもりで廃人同然の状態であった。

過去形にして良いのかわからないし、今でも波はある。

数年前、抑うつ、依存に不安障害、パニックに対人恐怖症に閉所恐怖症・・・など

あらゆる症状が出て生活がままならなくなってしまったのである。

 

ある時を境に人生が昨日不全を起こしてしまったのだ。

当時一緒に暮らしていた元パートナーからは暴言と暴力を受けていて、

長年我慢しながらも忍耐と愛情を取り違えていて、我慢することが相手への情だと

勘違いしていたのだ。

ある時ぷっつりと我慢が途切れて、そこから滝のように長年の痛みや苦しみが吹き出し続け、一時期は頭がおかしくなってしまったのか、と思うほどに怒りに苛まれ、抑うつで数ヶ月寝込み、それまでの知人友人とは縁がなくなり付き合いがなくなった。

仕事もなくなってしまった。

 

そこから数年経って今があるのだが、このブログは廃人でクズ同然、行きもできないほど苦しんでいた私が、どうやってそこから少しずつ人間らしさを取り戻していけたのか、そのプロセスを記していくつもりだ。

 

そしてその間、たくさんの本を読んで間接的に励まされた。

似たようなプロセスを辿った人がいたり、同じ思いをした人の苦しみをなぞることで

それらを勇気に変え、エネルギーとして溜めていった先に今があるからだ。

 

これがどこかで密かに苦しんでいる、誰かに向けて。

励ましてくれたAlice.Cさんに感謝を送りつつ。