あのひとだったらどうするだろう。

質問です。

あなたには、人生の師匠と呼べる人はいますか。

 

私は、これまで師匠なる存在を求めて求め続けた人生だったと思います。

(まだ死んではいませんが)

どれだけ長い時間、師匠を出会うことに費やしてきたでしょうか。

 

ところで師匠とはどういう人でしょうか。

頭脳明晰、真善美を備え、

常に冷静でたくさんの経験と知識でもって人を導いている、

禅を極めた仙人のような人・でしょうか。

何をもってあなたは、その人を師と仰ぎ、

ついていきたいと乞い願うのでしょうか。

 

私の場合、家族の中に自分の人生モデルになる人はいなかったため、

幼い頃から思春期頃には、文学作品の中に登場する人物や、

また、作曲家や画家などクリエイティブな人たちの中に、

憧れ、尊敬の念を持ち、理想を描いていました。

 

ある程度大人になってからは、問題が大きくなればなるほど

(人間関係のことがほぼでした)

生身の師匠が欲しいと祈ってきましたが、

なかなか出会えず、長いこと迷子でした。

 

一時期はヨガの先生を師と仰いでいたり、

ついていた音楽の先生を師としていたり、

いろいろな時期があります。

が、しかし、どの人もその分野のことはエキスパートであっても、

人生全般の師匠となると、話が違ってしまって、

どこかで離脱してしまいます。

 

 

人生詰んだ、と思った時期が私は今まで何度かありまして、

そういう時に、信仰を持っていたり、強力な人生の師匠がいたら違うのだろうと

落胆し、

運のない自分を責めたり、落ち込みやすい時があったのです。

 

話は変わりますが、

あの平田篤胤は、本居宣長と対面したことは一度もないのに、

夢に出てきたとして人生の師と仰いでいました。

ですから、直接あって指導を受けるから師匠と弟子、

というわけではないのだということが、

それを聞いた時からなんとなく響いて、

会ったことがなくても、

指導されたことがなくても

自分が本当に響いたことに生涯ついていくという気持ちになることが

師匠と出会うということなのだと学んだのです。

 

そこから、今私は心の師匠がいるのですが、

その方とは、今のところ一度もお会いしたことがありません。

ですが、その方のお弟子さんとは面識をもっており、

出版をされているのでそれを読み、

普段からその方の感覚をダウンロードしようとして生活しています。

 

この感覚が大切だと思います。

つまり、なにかのピンチの時、必要を極めた時だけではなく

(そういう時はもちろんのこと)

普段から、師となるひとの言動や思考などを感じる(想像する)

その人の空氣を真似る、ということをしていると、

徐々にではありますが感覚が自分のものになっていったり、

なんとなく わかる ようになるのです。

 

師匠と生身でやりとりしていなくても、

残されたものを読み、削ぎ落としたものを自分のお守りにしていくことで

自分のエネルギーが少しずつ溜まっていく、

そういうことなのかもしれません。

 

 

大好きな一冊。

岡本太郎さんは作品も生き方も好きだし、尊敬しています。

 

 

 

 

山田かまちさんの詩も好きでした。

 

 

 

以前も紹介しましたが、寺山修司さんも大好きでした。

 

 

こちらは美輪明宏さん。だいぶ大人になってから読みました。

戦っているのに、とても優雅で肚が据わってらして。かっこいい生き方です。